はじめての花暮らし:レヴィ片桐が選ぶ、心が和らぐ花5選

はじめての花暮らし:レヴィ片桐が選ぶ、心が和らぐ花5選

戦場では、命を奪うことに意味を見出してきた。

隣にいた戦友が突然倒れ、砂埃の中で光を失う瞳を見つめる日々。

そんな10年間の「死の世界」から、突如として「生の象徴」へと転身した私の物語は、多くの人に奇妙に映るだろう。

高校を卒業してすぐにフランス外人部隊に飛び込み、アフガニスタンから中東までの紛争地帯を渡り歩いてきた身としては、花屋という選択は自分でも意外だった。

しかし今、鎌倉の小さな花屋「Fleur de Guerre」(「戦の花」の意)で私が語りたいのは、花との出会いが人の心に与える変化について。

この記事では、私の転身の背景と、特に初めて花と暮らす人におすすめしたい「心が和らぐ花5選」を紹介したい。

選んだのは、単なる「きれいな花」ではなく、それぞれが物語を宿す、いわば「静かな記憶の守り人」のような花たち。

もしあなたが、日常の喧騒から少しだけ離れた静かな時間を求めているなら、これから紹介する花たちがその扉を開いてくれるかもしれない。

花を通じて感じる”静かな戦場”

花に潜む記憶とメッセージ

花は黙っている。

しかし、じっと見つめていると、花はそれぞれの言葉を語り始める。

それは地中の栄養を吸い上げ、太陽の光を受け、風雨に耐えながら咲く姿そのものが「言葉」なのだ。

アフガニスタンの山岳地帯で、激しい銃撃戦の後に見つけた一輪の野花。

あれは何だったのだろう。

名前も知らないまま、死の香りが漂う戦場で、懸命に命をつないでいた小さな存在。

花には、その地に刻まれた記憶が宿っている。

私が花に惹かれたのは、その「黙した姿勢」にあるのかもしれない。

戦場で多くを語らなかった兵士たちと同じように、花は静かに、しかし確かに存在を主張する。

そして時に、香りという形で密やかなメッセージを届けてくる。

花を見る目を変えた戦地の体験

「美しさ」の定義が、戦場で変わった。

銃声の絶えない街で、瓦礫の隙間から顔をのぞかせる野草の緑。

それは、どんな高級レストランのコース料理よりも心を打つ「美」だった。

花を見る目が変わったのは、あの時からだろう。

「どうして花なのか」とよく聞かれる。

答えは簡単だ。

ある日突然、もう死を見ることに耐えられなくなった。

そして気がついたら、パリの小さな花屋の前で立ち尽くしていた。

ショーウィンドウに映る自分の姿は、血で汚れた迷彩服ではなく、一般的な旅行者のそれだった。

しかし内側では、まだ銃声が鳴り響いていた。

その時、店内から漂ってきた花の香りが、初めて私の中の戦場を静めた。

香りと咲き方のリズムが語るもの

花の魅力は、見た目だけではない。

その香りと咲き方のリズムにこそ、花の真髄がある。

アネモネは朝になると花びらを広げ、夕方になるとそっと閉じる。

この繰り返しの中に、私は「呼吸」を感じる。

ミモザの枝を揺らすと、微かに甘い香りが漂い、まるで遠い記憶を呼び起こすように心に入り込んでくる。

花の咲き方には、それぞれのリズムがある。

一気に咲き誇るものもあれば、少しずつ花を開くものもある。

その「時間の使い方」に、私はしばしば学ばされる。

「急がなくていい」と花は教えてくれる。

外人部隊では、一瞬の判断の遅れが命取りになることもあった。

しかし花は、時にゆっくりと、自分のペースを守りながら成長していく。

そんな花のリズムが、今の私の生き方そのものになっている。

心が和らぐ花5選:レヴィ片桐のセレクション

第1花:アネモネ ー「沈黙の勇気」

最初に紹介したいのは、アネモネだ。

キンポウゲ科の花で、春先に赤や青、紫など鮮やかな色で咲き誇る。

私がアネモネを「沈黙の勇気」と呼ぶのには理由がある。

アネモネは「はかない恋」「見放された」といった花言葉を持つが、私はそこに「静かな強さ」を感じる。

朝、太陽の光を感じると開き、夕方になると閉じるその姿は、まるで一日の記憶を静かに消化するかのようだ。

ギリシャ神話では、美少年アドニスの流した血から生まれたとされるアネモネ。

死と再生を象徴するこの花は、戦場で見た「失われたもの」への静かな鎮魂になる。

アネモネの花びらに見える部分は実はガク片。

この事実を知ったとき、外見と実体の違いに心を打たれた。

戦場での私もまた、殺し屋の外見と、内側で震える若者の乖離に苦しんでいたから。

アネモネを部屋に飾ると、その存在感が不思議と心を落ち着かせてくれる。

特に赤いアネモネは、私の中の「血の記憶」を昇華させてくれるような気がしている。

第2花:ミモザ ー「再生と希望の光」

次に紹介するのは、ミモザ。

黄色い小さな花が集まって咲く様子は、まるで小さな太陽のようだ。

マメ科アカシア属の植物で、3月から4月にかけて花を咲かせる。

ミモザの花言葉は「優雅」「友情」「感謝」。

しかし私は、それに「再生と希望の光」という言葉を加えたい。

ミモザが咲く頃、日本では卒業や別れの季節。

同時に、新しい出会いや始まりの時期でもある。

フランスでは花屋の店先にミモザが並ぶと、冬の終わりを告げる合図となる。

私がパリの花屋で立ち尽くしていた日、店内にはちょうどミモザが山積みになっていた。

小さな花の集合体であるミモザは、私に「孤独ではない」ことを思い出させてくれる花だ。

一つ一つは小さくても、集まれば鮮やかな存在感を放つ。

それはまるで、外人部隊の仲間たちのようでもあった。

ミモザを育てると、その成長の早さに驚かされる。

春の訪れを心待ちにしている人に、このミモザを飾って欲しい。

部屋の隅に置いておくだけで、その黄色い光が心に希望をもたらしてくれるだろう。

第3花:スイートピー ー「別れの優しさ」

スイートピーは、私の花屋で春先に最も人気の花の一つだ。

マメ科のつる性植物で、ピンクや紫、白など様々な色の花を咲かせる。

甘い香りを放つことから「スイートピー(甘い豆)」と名付けられた。

花言葉は「門出」「別れ」「優しい思い出」。

私はこの花に「別れの優しさ」を感じる。

外人部隊では、突然の別れが日常だった。

昨日まで隣で眠っていた戦友が、翌日には帰らぬ人になることも。

そんな過酷な別れしか知らなかった私に、スイートピーは「別れにも優しさがある」ことを教えてくれた。

スイートピーの花は、まるで蝶が飛び立つような形をしている。

フリルのような花びらが風に揺れる姿は、旅立ちの姿を思わせる。

この花を育てると、つるを伸ばし、支柱に絡みながら上へ上へと咲いていく。

人生もまた、何かに支えられながら伸びていくものかもしれない。

スイートピーの甘い香りは、心を穏やかにしてくれる。

特に夜、窓辺に飾ると、その香りが静かな安らぎをもたらす。

一瞬の別れを美しい思い出に変えるような魔法を持つ花だ。

第4花:クリスマスローズ ー「冬の終わりに咲く決意」

クリスマスローズは、真冬の寒さの中で咲く花だ。

キンポウゲ科の多年草で、12月から4月にかけて花を咲かせる。

「冬の貴婦人」とも呼ばれるその姿は、静謐さの中に芯の強さを感じさせる。

花言葉は「私の不安を和らげて」「慰め」「私を忘れないで」。

私はこの花に「冬の終わりに咲く決意」を見る。

戦場の経験から、私は長い間、悪夢に苦しめられてきた。

特に冬の長い夜は、過去の記憶が襲ってくる時間だった。

そんな時、ふと庭で見つけたクリスマスローズの花が、凍える空気の中で静かに咲いていた。

「どんな厳しい環境でも、自分のペースで咲けばいい」。

そう語りかけてくれるようだった。

クリスマスローズの花びらに見える部分は実は萼片で、長期間楽しめるのも特徴だ。

花が終わっても萼片は散らず、「ガク(学)が落ちない」ことから、受験生に贈る花としても親しまれている。

私自身、夜中に目が覚めるときにこの花を見ると、なぜか心が静まる。

冬の終わりを告げるこの花は、「どんな夜も必ず明ける」ことを教えてくれる。

第5花:ヤグルマギク ー「異郷の青、記憶の花」

最後に紹介するのは、ヤグルマギク(矢車菊)、別名コーンフラワー。

キク科の一年草で、青や紫、白などの花を咲かせる。

フランスでは「ブルーエ(bleuet)」と呼ばれ、第一次世界大戦の戦没者を追悼する花として知られている。

花言葉は「繊細」「優雅」「気品」だが、私にとっては「異郷の青、記憶の花」だ。

外人部隊の制服に縫い付けられた青い糸。

それは、フランス人兵士が身に着ける「ブルーエ」の色だった。

多くの戦友がその青い花を胸に、永遠の眠りについた。

日本に帰国して花屋を始めた時、最初に栽培したのがこのヤグルマギクだった。

異国の空を思わせる青い色が、鎮魂と平穏の象徴になった。

ヤグルマギクは、どこか儚げな姿をしているが、実は強健な花だ。

一度種を蒔けば、翌年も芽を出し、花を咲かせてくれる。

5月から7月にかけて咲く花は、まるで初夏の青空を切り取ったかのような鮮やかさ。

花瓶に活けると、少しずつ色が変化していく様子も魅力的だ。

過去を抱えながらも、新しい日々を生きる人に贈りたい花だ。

花と向き合う時間の作法

日々の観察:葉の動きと光の関係

花と暮らし始めて気づいたのは、花だけでなく葉の動きにも物語があるということ。

朝、陽が昇ると共に葉が上を向き、夕方になると少し垂れ下がる。

この小さな動きが、一日のリズムを教えてくれる。

私は毎朝、花に水をやる前に必ず葉の状態をチェックする。

葉の艶や角度が、その花の健康状態を教えてくれるからだ。

外人部隊では、敵の動きを察知するために常に周囲を観察する訓練を受けた。

今では、その観察眼を花に向けている。

1. 光の変化を感じる

  • 葉が太陽を追いかける様子を観察する
  • 朝と夕方で葉の向きが変わる植物を見極める
  • 日陰でも元気に育つ葉の強さを学ぶ

2. 水分状態の読み方

  • 葉のハリや色で水分不足を判断する
  • 朝露が葉に与える効果を観察する
  • 雨の後の葉の輝きを記憶する

葉と光の関係を理解することで、花の本質に近づける。

それは、目に見えない部分に耳を澄ますことでもある。

香りの記憶を日記に綴る

花の香りは、記憶と密接に結びついている。

私は花屋を始めてから、毎日「香りの日記」をつけている。

それは文章ではなく、その日に感じた香りを短い言葉で描写するものだ。

「スイートピー:春の雨のような甘さ」
「アネモネ:かすかな草原の記憶」
「ミモザ:朝日を浴びた砂丘のよう」

花の香りは、時に過去の記憶を呼び覚ます。

アフガニスタンの山岳地帯で感じた朝露の香り。
イラクの砂漠で出会った小さな野花の匂い。
パリの裏通りで立ち寄った花屋のミックスされた香り。

それらの記憶が、今の私の「香りの地図」を作っている。

香りの日記をつけることで、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。

都会の喧騒の中でも、花の香りだけは逃さない鼻になった。

日々の中で、花の香りに立ち止まる時間を持つことを勧めたい。

それは、忙しい日常から一時的に解放される魔法の瞬間になる。

水やりは会話のように:静かなコミュニケーション

花に水をやる時間は、私の一日の中で最も大切な瞬間だ。

水やりは、単なる作業ではなく、花との対話の時間。

朝日が差し込む窓辺で、一鉢一鉢に声をかけながら水をやる。

戦場では、常に緊張感を持って行動しなければならなかった。

だが花への水やりは、その真逆の時間。

ゆっくりと、深呼吸をしながら行う儀式のようなものだ。

水やりをする際に心がけていることがある。

1. 花の状態に合わせた水量

  • 乾燥具合を指で確かめてから
  • 一気に注ぐのではなく、少しずつ与える
  • 花によって水の好みが違うことを理解する

2. 時間帯の選択

  • 朝の涼しい時間か、夕方の静かな時間に
  • 直射日光の中での水やりは避ける
  • 花が最も受け入れやすい時間を知る

水やりは、花との「約束」を守る行為。

その約束を守ることで、花は最も美しい姿を見せてくれる。

これは人間関係にも通じることかもしれない。

花への水やりを通して、私は「与える」ことの意味を学んだ。

必要なものを、必要な時に、必要なだけ与える。

それが、花を育てる基本であり、人を大切にする基本でもあるのだろう。

異色の花屋「Fleur de Guerre」の日常

店名に込めた意味:「戦と花」

「Fleur de Guerre」―「戦の花」。

多くの人が、私の花屋の名前に首をかしげる。

なぜ穏やかな花と、残酷な戦をつなげたのか。

それは、私の過去と現在をつなぐ唯一の言葉だったからだ。

戦場で見た花は、全てが「戦の花」だった。

砲撃で荒れた地面から、ひっそりと咲く野花。

廃墟となった家の庭に、なお色鮮やかに残るバラ。

それらは全て、戦いの中に存在した生命の象徴だった。

今、鎌倉の小さな花屋で私が扱う花も、別の意味での「戦いの花」だ。

日々の生活の戦い、心の中の戦い、記憶との戦い。

そんな中で、人々に寄り添う存在としての花。

「Fleur de Guerre」は、単なる花屋ではなく、花を通じて「生きること」を考える場所にしたいと思っている。

店内には、私がアフガニスタンで撮影した野花の写真も飾っている。

「ここにも花は咲いていたんですね」と言われることが多い。

そう、どんな場所にも、花は咲く。

それが、私が伝えたいメッセージの一つだ。

鎌倉という土地がもたらす静けさ

鎌倉を選んだのは、偶然ではない。

海と山に囲まれたこの古都は、どこか戦場の静けさを思わせる。

戦場の静けさ。

それは矛盾した表現に聞こえるかもしれないが、激しい銃撃戦の後には必ず訪れる不思議な静寂がある。

鎌倉の朝の静けさは、そんな記憶を穏やかに包み込んでくれる。

小さな裏通りに店を構えたのも、人混みを避けたかったからだ。

PTSDと診断された私にとって、突然の物音や人ごみは今でも苦手なものだ。

鎌倉の山から吹き下ろす風、参道の石畳を歩く音、お寺の鐘の音。

それらの「音の風景」が、私の心を少しずつ癒してくれている。

「この店の場所、わかりにくくないですか?」とよく聞かれる。

確かに、観光客の多い通りからは少し外れている。

でも、花を求めて遠回りをしてくれる人だけに出会いたかった。

鎌倉という土地は、花と向き合うための「静かな舞台」を提供してくれている。

四季の移ろいがはっきりしているこの地で、花の一生を見守ることが私の喜びだ。

客との対話から生まれる花のストーリー

私の花屋の特徴は、花を買いに来るお客さんと必ず会話をすることだ。

「どんな場所に飾りますか?」
「誰に贈りますか?」
「どんな気持ちを伝えたいですか?」

そんな質問から始まる対話の中で、花のストーリーが生まれていく。

「戦場で花を見る機会はありましたか?」

そう尋ねられることもある。

答えは「はい」だ。

花は、どんな状況でも咲く。

それが花の強さであり、美しさだ。

お客さんの中には、定期的に通ってくれる「花友達」もできた。

毎週金曜日に来店する80代の女性は、夫の仏壇に供える花を買いに来る。

「主人、花が好きだったのよ」と話す彼女に、私は季節ごとに異なる花を提案する。

彼女との対話から、私は「花と記憶」について多くを学んだ。

花は、亡き人との対話の手段にもなる。

また、就職活動に失敗して落ち込んでいた若者には、アネモネを。

「明日また別の花が開くから」と伝えると、彼は少し元気を取り戻したようだった。

花屋は、単に花を売る場所ではない。

花を通じて、人生の様々な瞬間に寄り添う場所なのだ。

それが「Fleur de Guerre」の存在意義だと思っている。

まとめ

花は”静かな記憶”をたどるための手がかりだ。

私が戦場から花屋へと人生を転換したのは、死の世界から生の世界へ橋を渡りたかったからかもしれない。

しかし花と向き合う日々の中で気づいたのは、「死」と「生」は決して別々のものではないということ。

花は生まれ、咲き、種を残し、やがて枯れていく。

その一連の流れの中に、生と死のすべてが含まれている。

アネモネの「沈黙の勇気」、ミモザの「再生と希望の光」、スイートピーの「別れの優しさ」、クリスマスローズの「冬の終わりに咲く決意」、そしてヤグルマギクの「異郷の青、記憶の花」。

これらの花が私に教えてくれたのは、過去と向き合いながらも、今を生きる勇気だ。

花屋になって7年。

今でも時折、夜中に悪夢で目が覚めることがある。

しかし、窓辺に飾った花の香りが、少しだけ世界を穏やかにしてくれる。

花との暮らしは、特別なことではない。

小さな鉢植え一つから始めることができる。

あなた自身の「心を和らげる花」が、どこかで待っているはずだ。

その花との出会いが、あなたの日常に小さな平和をもたらしてくれることを願っている。

花は、私たちが忘れかけていた「生きる喜び」を、静かに、しかし確実に思い出させてくれる存在なのだから。

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